認知行動療法が難しいときに改めて考える最初のステップ

人間がどうしても認知の修正が難しいと感じる時、その根本には様々な要因が絡み合っています。単なる「考え方の癖」ではなく、時にそれは深いトラウマや発達上の特性、あるいは精神疾患の症状として現れている場合があります。精神科医の視点から、この問題にアプローチする際、私たちは単に「考えを変えなさい」と指示するのではなく、より多角的な視点から、その人が認知を修正できるような土壌を整えることを目指します。

この長い道のりの第一歩として、最初にできることは、以下の3つの柱に集約されます。

認知の歪みを生む土台を理解する

修正の準備段階として、安全な場所を確保する

具体的な認知の「ひび」を入れる小さなステップを踏み出す

これらの柱について、さらに詳しく掘り下げていきましょう。

1. 認知の歪みを生む土台を理解する

認知の修正が難しいと感じる場合、その認知は単なる「思い込み」ではなく、その人にとっての現実であり、生き抜くためのサバイバル戦略として機能していることが多いです。この戦略が形成された背景を深く理解することが、最初の、そして最も重要なステップとなります。

トラウマと防衛機制

トラウマは、私たちの認知に深い影響を与えます。例えば、過去に裏切られた経験がある人は、「誰も信用できない」という認知を形成し、それが強力な防衛機制として機能します。この認知は、自分を再び傷つけられることから守るためのものです。

このような場合、「その考えは間違っている」と指摘しても、その人の防衛本能はさらに強固になります。なぜなら、その指摘は「あなたのサバイバル戦略は間違っている」と言っているように聞こえるからです。最初にすべきは、この防衛機制を否定せずに尊重することです。「そう考えるようになったのには、きっと辛い経験があったのですね」という共感的なアプローチが不可欠です。

この段階では、認知の内容を修正しようとするのではなく、その認知が生まれた背景に光を当てることが目的です。背景を理解することで、その認知が単なるネガティブな考えではなく、その人の過去の苦痛と結びついた、意味のあるものであることを示唆します。

発達上の特性

自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠陥・多動症(ADHD)などの発達上の特性も、特定の認知の硬直性に関係していることがあります。ASDの人は、定型発達の人とは異なる方法で世界を認識し、パターンやルールに強く固執する傾向があります。これは、世界を予測可能で安全なものにするための彼らの方法です。

この特性を持つ人に対しては、「柔軟な考え方」を促すこと自体が、彼らの安全な世界観を揺るがす脅威となり得ます。そのため、まずは彼らの認知スタイルを理解し、尊重することが重要です。彼らにとっての「正しい」認知がどのように形成されたのかを共に探求し、その認知が彼らの生活の中でどのように機能しているのかを明らかにします。

精神疾患の症状としての認知の歪み

うつ病や不安障害、統合失調症などの精神疾患は、直接的に認知の歪み(認知の硬直性)を引き起こすことがあります。

うつ病:自己肯定感の低下からくる「私は価値がない」「何もできない」といったネガティブな認知は、単なる考え方ではなく、脳内の神経伝達物質の不均衡によって生じる症状です。

強迫性障害:特定の思考(強迫観念)が頭から離れず、それを打ち消すための行為(強迫行為)を繰り返すのは、脳の特定の部位の過活動と関連しています。

統合失調症:妄想や幻覚といった現実と乖離した認知は、脳の機能障害からくるものです。

このような場合、心理療法だけでは限界があります。根本的な認知の修正を試みる前に、まずは薬物療法や環境調整によって、脳の状態を安定させることが不可欠です。脳の状態が安定することで、初めて、認知の修正に向けた心理的なアプローチが効果を発揮する土壌が整います。

2. 修正の準備段階として、安全な場所を確保する

認知の修正は、自己の根幹を揺るがす行為です。この困難なプロセスを始めるには、心理的安全性が確保された環境が不可欠です。精神科医やカウンセラーとの関係性において、この安全性をどう作り上げるかが非常に重要です。

無条件の受容と共感

クライアントの考えや感情を批判せず、無条件に受け入れることが、何よりも重要です。彼らがどんなに非合理的だと思える認知を持っていたとしても、それを否定せず、「そういう風に感じるんですね」「その考えに至るのには、何か理由があるはずですね」と、その認知の存在自体を認めることから始めます。

この受容的な姿勢は、「あなたは、どんな考えを持っていても、この場所では安全だ」というメッセージを伝えます。これにより、クライアントは、自分の内面を安心して開示できるようになり、認知の修正という危険な領域に踏み出す勇気を持つことができます。

協働的な関係性の構築

精神科医とクライアントの関係は、「先生と生徒」ではなく、「旅の仲間」であるべきです。認知の修正は、医師が一方的に正解を教えるものではなく、クライアントと医師が協力して、より良い生き方を共に探求するプロセスです。

「一緒にあなたの考え方の癖を探してみませんか?」「この考えが、あなたにとって本当に役立っているのか、一緒に考えてみましょう」といった、協働的で対等な言葉を使います。このアプローチは、クライアントに「強制されている」という感覚を与えず、彼ら自身の自律性を尊重します。

小さな成功体験の積み重ね

認知の修正は、一足飛びにできるものではありません。大きな目標を掲げるのではなく、現実的で小さな成功体験を積み重ねることが重要です。

例えば、「自分は人前で話すのが怖い」という認知を持つ人に対し、いきなりスピーチをさせるのではなく、「挨拶をする」「質問に答える」といった、より小さなステップから始めます。そして、その小さな成功を意識的に評価し、肯定します。「さっきの挨拶、とても自然でしたね」「質問に答えてくれたこと、素晴らしい進歩です」といったフィードバックは、クライアントの自己効力感(自分にはできるという感覚)を高め、より大きな挑戦へのモチベーションにつながります。

3. 具体的な認知の「ひび」を入れる小さなステップを踏み出す

安全な土台が整った後、初めて具体的な認知の修正に向けた働きかけを開始します。この段階では、従来の認知行動療法(CBT)のアプローチを、より優しく、強制力のない形で適用します。

認知の「ラベリング」

認知を「正しいか間違いか」で判断するのではなく、「どのような種類の認知か」という視点で観察します。

自動思考:頭にふと浮かぶ考え。

スキーマ:過去の経験から形成された、より根深い信念。

認知の歪み:all or nothing思考(白か黒か)、過剰な一般化、心のフィルターなど。

クライアントに、自分の思考を「これは『all or nothing思考』だね」「これは『過剰な一般化』かもしれないね」とラベリングすることを教えます。これにより、自分の思考と自分自身を切り離して客観視できるようになります。「私はダメな人間だ」というスキーマ(信念)と、「私はダメな人間だという思考が浮かんでいる」という客観視は、全く異なります。後者の視点を持つことで、思考に支配されず、それを観察し、距離を置くことができるようになります。

ソクラテス式質問法(Socratic Questioning)

これは、クライアント自身に答えを見つけさせるための質問です。答えを教えるのではなく、質問を通じて、彼らの認知の矛盾や非合理的な部分に彼ら自身が気づくように導きます。

「本当に100%そう言えますか?」:「誰も私のことを好きではない」という認知に対し、「本当に一人も、ですか?」と問う。

「もし、親友が同じ状況にあったら、何とアドバイスしますか?」:「私は何もできない」という認知に対し、自分以外の視点から見つめ直すことを促す。

「この考えが本当だとしたら、何が一番怖いですか?」:その認知の根底にある恐怖を探る。

これらの質問は、クライアントの認知に直接対抗するのではなく、「問いかけ」という形で小さな「ひび」を入れていきます。この「ひび」から、クライアントは自分の認知が絶対的な真実ではないかもしれない、と自ら気づき始めます。

「別の見方」を提示する

クライアントの認知を否定せず、しかし、もう一つの可能性を静かに提示します。

「『私は失敗ばかりだ』と感じるんですね。でも、成功したことも、過去にありませんでしたか?」

「『このプロジェクトは絶対に失敗する』と感じるんですね。もし、失敗しなかったとしたら、どんな要因が考えられますか?」

このアプローチは、クライアントの認知を尊重しつつ、別の視点が存在することを優しく示唆します。この「別の見方」は、あくまで可能性の一つであり、クライアントがそれを受け入れるか否かは彼ら自身の判断に委ねられます。

まとめ

認知の修正が難しい人に対し、精神科の視点から最初にできることは、「その人の認知を支配する背景を理解し、修正のための安全な土壌を整えること」に尽きます。

認知の背景にあるトラウマ、発達特性、精神疾患を理解する。

安全な関係性(無条件の受容、協働性)を築き、小さな成功体験を積み重ねる。

具体的な認知の修正は、ソクラテス式質問法などを使い、クライアント自身が気づきを得るのを支援する。

認知の修正は、「あなたの考えは間違っている」という上からの指示ではなく、「あなたの考えは、あなたの人生を守るために生まれた大切なもの。でも、もしかしたら、もう違う方法を選んでもいい時かもしれません」という、共感と協働のプロセスです。中原こころのクリニックに受診されることが認知の認知や誰かと共有する安全な場また、共同したひび入れ作業となれば幸いです

これは時間と忍耐を要する、長く困難な旅ですが、この第一歩を丁寧に進めることが、最終的にその人が自らの内面と向き合い、より自由に生きるための大きな一歩となります。

このプロセス全体を通して、私たちが最も重視すべきは、クライアントの主体性です。私たちは、彼らが自身の心の地図を再描画するためのコンパスを提供するだけであり、最終的にどの道を選ぶかは、彼ら自身に委ねられます。この信頼こそが、心の変容を可能にする最大の力なのです。中原こころのクリニックでは対人関係療法を中心とした精神及び薬物療法を行っておりますが心理療法を希望の方には適切なカウンセリングルームをご紹介しております